上薬研究所の歴史

上薬研究所の歴史

あなたが選ぶ、最後の健康食品

私たち上薬研究所は霊芝一筋30余年。
そんな私たちのブランドスローガンは「あなたが選ぶ、最後の健康食品」。

昔から”整える霊芝”、”強める人参”と称され、伝統的健康素材の東西の横綱と言われてきました。

現代社会は体調が乱れることばかり。
そんな現代社会の中で、ずっと健康であり続けるために大切なのは「強める」こと以上に、本来、人間に備わっている健康になるための力を「整える」ことだと私たちは考えます。
そのお役に立つのが”整える霊芝”。

“霊芝”を飲み続けることで身体を芯から整える。
そして、たった一度きりの人生をいつまでも健康で豊かに過ごしていただきたい・・・・・・。

私たちのブランドスローガン「あなたが選ぶ、最後の健康食品」には、このような願いが込められています。

創業家を癌(ガン)が襲う

私たち上薬研究所は1981年の創業以来、35年以上に渡り霊芝一筋で事業を行ってまいりました。創業のきっかけは、創業一族の悲劇の連鎖でした。上薬研究所は田中商事株式会社というガス商社の関連会社として創業。

その初代は田中庄藏と言いました。田中商事は神奈川県横浜市を中心に酸素や笑気ガス(麻酔ガスの一種)などの医療用ガスを手始めにプロパンガスなどガス関連事業を横浜市中心に展開していました。

創業者である田中庄藏は、その功績が認められて、1971年、佐藤栄作首相のときには日本政府より勲五等瑞宝章(現・瑞宝双光章)を授与されました。

勲五等瑞宝章(現・瑞宝双光章)

子供は敬武(長男)、稔(次男)、邦雄(三男)、利雄(四男)、明美(長女)の5人に恵まれ、この先も順風満帆なはずでした。しかし、庄藏引退後、田中商事を敬武(長男)が二代目社長として継いだ矢先に三男の邦雄が胃癌(ガン)を発症。当時、医療用ガスを大学病院などに納めていたこともあり、最新の医療なども受けましたが、本人は苦悶(くもん)のうちに亡くなりました。

そして、残された家族も闘病生活が報われなかったことで精も根も尽き果ててしまったのです。

勲五等瑞宝章授与時の庄藏と妻みのる
勲五等瑞宝章授与時の庄藏と妻みのる

それからしばらくして今度は二代目社長の長男、敬武が骨髄癌(ガン)になってしまいました。
一度ならず二度までも創業一族を襲った悲劇。敬武も必死で闘病生活を送りましたが、 残念ながら願いは叶わず。
癌(ガン)で兄弟二人が相次いで亡くなったことに悔しさと無念さだけが残りました。

右から長男の敬武、次男の稔、四男の利雄
右から長男の敬武、次男の稔、四男の利雄

そのようなときに当時「さるのこしかけ」と呼ばれていた霊芝(れいし)が健康に良いらしいとの話が入ってきました。
霊芝がそんなにいいものであれば、私たち一族のような悲劇が少なくなるかもしれない。そう考えた四男の利雄は、1981年にガス事業とは全く異なる霊芝の健康食品事業を関連会社として創業し、事業をスタートしたのです。

当時、健康食品というといいかげんな商品が巷にあふれている状態で、世間では非常に怪しい目で見られていました。
それでもあえて健康食品事業に乗り出したのは兄弟二人を亡くしたという悲しみと、これ以上このような悲しみを世の中に増やしたくないとの想いからでした。

健康食品事業の関連会社創業当時、田中商事三代目社長となった次男の稔、そして四男の利雄は一つの誓いを立てました。それは「やるからには日本一の霊芝製品を作ろう」というもの。

その後、健康食品事業は田中商事に統合した後、1998年、田中商事三代目社長稔の長男である現社長の田中愼一郎の時代に分社・独立をし、霊芝の健康食品事業をより広く、深く展開。

現在でも私たち上薬研究所は流行に流されることなく、創業当時の誓いを胸に事業を行っております。

田中愼一郎社長
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