社長の履歴書

社長の履歴書

社長あいさつ

田中愼一郎社長

田中 愼一郎(血液型:AB型)
「道」とは人格、生き様を磨くもの。
仕事は仕事道、趣味のマラソンはマラソン道として、「諦めなければ夢は叶う」の精神とともに日々を過ごしています。

趣味
マラソン フルマラソンのみならず名古屋~金沢やギリシャの250kmマラソンを毎年走っています。

メッセージ
霊芝を通じ、縁ある一人でも多くの皆さんの人生の豊かさの実現に向けて精進し続けます。

家族の笑顔を応援します

株式会社上薬研究所の存在目的についてお話させていただきます。
当社の存在目的、それは「家族の笑顔を応援します。」です。

もしも明日、地球が滅亡するとしたらあなたは何をしますか?

この質問への答えが当社の存在目的の原点です。
私の場合は「いつものように妻のおいしい手料理を食べながら家族団欒いろいろなことを話し合う。」です。

当社のメンバー達も家族にまつわる答えが多かったようです。
あらためて人生にとって本当に大切なものを認識させられました。

多くの家族が笑顔に包まれている、そんな社会ならきっといじめは減るだろう。
きっと犯罪は減るだろう。
きっと争いごとは減るだろう。
そしてそんな社会では皆が助け合いながら幸せの中で過ごすだろう。
お母さんが笑顔の家庭ではお父さんは外での疲れを癒し自分らしさを取り戻すだろう。
子供たちはそのぬくもりの中で安心感に包まれ自分の可能性に夢を馳せるだろう。

もちろんペットも大切な家族の一員。
そんな社会の実現を夢見て、目の前の一つ一つの家族の笑顔を応援したい。

株式会社上薬研究所はそんな想いを実践する One and Only な企業です。

株式会社 上薬研究所 代表取締役 田中愼一郎

誕生~幼少期はとても病弱な子供

誕生~幼少期はとても病弱な子供

しかし幼稚園の頃から、ちょくちょく熱を出すようになりました。

あの当時、遠足や運動会など、何度か病気で参加できずにとても悲しい思いをしたのを今でも覚えています。

小学校に入ると、少しでも身体が強くなるようにと水泳教室に通わさせられましたが、扁桃腺炎、腎盂炎や神経性胃腸炎で学校を休むこともしばしば。
近所の都立病院の小児科ではカルテが一番、分厚い子供として看護士さんの中でも有名でした。

思春期からは徐々に改善

思春期からは徐々に改善

中学生時代は水泳部で、高校生時代はアーチェリー部でその後も心身を鍛え、健康状態は徐々に良くなり、あまり熱を出すことはなくなっていったのですが、慢性的に下痢症状が続き、健康状態は不安定でガリガリに痩せていました。

大学生時代には学内の開放的な雰囲気の中、テニスに打ち込んだりと、リラックスできていたせいか、ほとんど病気にかかることはなくなりました。

銀行員になって始まった偏頭痛との闘い

割れるような頭の痛みと吐き気が週に2、3回のペースで継続的に起こり、もうこれは長生きできないのではないだろうかという状態が10年以上も続いていました。

そして霊芝との出会い

その頃に家業に戻り霊芝と出会い、飲み続けていく内に、気がつけば一年中、風邪を引くこともなく、あれほど苦しめられ続けた偏頭痛からも解放され、さらに暴飲暴食をしていたにもかかわらず、健康診断ではどの項目も引っかかることがなく、久々にとても健康的な日々を過ごせるようになったのです。

その一方で、そんな状態に油断して、変わらず暴飲暴食を繰り返していたために、体重はどんどんと増えていって、身長179㎝で体重が83㎏、体脂肪30%と、肥満寸前のムチムチの身体つきになってしまいました。

マラソン人生のスタート

マラソン人生のスタート

そしてその趣味が高じて、フルマラソンはこれまでに約30回以上完走。50歳を超えた頃からは、250㎞を超えるウルトラマラソンに年2回のペースで参加。さらに60歳の時には、還暦を記念して本州縦断(青森~下関)1550㎞を単独で完走し、最終地点である山口県の地元紙にゴールの様子が紹介されました。

そんな私が今も周囲から言われるのは、「そんな年になんて全然見えない!」「その元気はいったいどこから来るの?」という言葉。

あれだけ身体が虚弱だった私が、この年になっても過酷なマラソンを完走し続けることができるほどに元気で、そしていくつになってもまだまだ若々しく目標に挑戦し続けられるのは、ひとえに霊芝のおかげだと言えます。

本当に、霊芝が私の人生を大きく変えてくれたことは間違いありません。
霊芝との出会いにはもう感謝、感謝しかありません。

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